はじめに
GMOブライツコンサルティング株式会社の技術担当役員を拝命している山下と申します。
本日は「ブランドからバッヂ(勲章)へ」と題して、今後の半世紀のスパンで【ブランド】がどのように変容していくのか、そういう未来を空想してみたいと思います。
先日Facebookの社名変更がニュースになりました。
新社名は「メタバース」を由来とした「Meta(メタ)」となります。
日本では「GAFAがGAMAになるのか(笑)」のような反応が多かったような気がしますが、いよいよメタバースが始まるのか、といった意味では「メタバース後のブランド」という未来を空想するには良い機会かと思います。
※あくまで空想で、予言ではありませんので、悪しからず。
メタバースとは何か?
「マトリックス」という映画をご存知の方も少なくはないと思います。
地上をロボットに支配され、人間の意識がバーチャルリアリティ世界「マトリックス」の中に押し込められたというディストピアを描いたSF映画です。
メタバースの語源は「メタ」+「ユニバース(宇宙、世界)」です。
「メタ」は「より抽象的な、高次の」といった意味で使われる接頭辞です。
例えば「フィジックス(物理学)」に「メタ」をつけると「メタフィジックス(形而上学)」になり、これは物理学で表象されるような現実世界を更に上位で規定する何らかの法則であったり認識などを探求する学問になります。
※情報学などはまさにメタフィジックスなのかもしれませんね。
従って「メタバース」は、抽象的・仮想的な「セカイ」を意味し、まさに「マトリックス」で描かれるようなバーチャルリアリティ世界を目指しているのでしょう。
無論「ロボットに支配され、、、」というようなディストピアではなく、人間の意識を現実世界の制限から解き放つような「ユートピア」として、なのですが。
※人気アニメ「ソードアート・オンライン」もわかりやすい例ではあるのですが、この作品でも一種の「ディストピア」感が提示されています。
ではそのような「メタバース」ですが、具体的には我々は何を得て、どのような経験をするのかということを考えてみます。
現在我々は主に「ブラウザ」や「アプリ」を通じて、「インターネット」に蓄積された情報を取得することができます。
これは「主体」「客体」の関係です。
「読む人」「読まれるメディア」といった関係なのです。
本を読む、テレビを見る。そういった行為を代替するものとして、インターネットやブラウザが存在します。
方や「メタバース」では、バーチャル空間そのものに没入することを企図します。
ここでは、「主体」「客体」の関係は融溶し、「自我(および他者の自我)」と「環境」の関係が成立します。
ここで特筆すべきことは、「メタバース」のセカイにおいては、「メディア」という概念が独立して存在しにくいということです。
「環境=エンバイロメント」そのものが情報で構成され、環境そのものがメディアとして成立してしまいます。
「自己」以外のすべての情報は「環境=エンバイロメント」および「他者」としてでしか成立し得ない可能性があるということです。
メタバースと広告
近未来やバーチャルリアリティを描いた(一昔前の)SF作品では、街中に広告がめぐらされたり、非常に押し付けがましい広告が消費者を悩ませるといったたぐいの描写が頻出します。
しかしこれらのイメージはすでに過去のものであるということに、「インターネット世代」である我々は気づいていますし、そのようなある種のディストピアを希望する人は、おそらく少ないでしょう。
エンバイロメントの中にどれだけビルボード(広告看板)を立てようとも、それはもはやポリゴンに貼られたテクスチャに過ぎません。
エンバイロメントの中で映像を流したとしても、それは動くテクスチャであり、できの悪い劇中劇であり、見るものに「価値のある映像体験」を届けることはかなり難しいのではないでしょうか。
そして、そもそも広告で溢れかえる「メタバース」に誰が魅力を感じるでしょうか?
「メタバース」の運営者にとっても、広告で溢れかえりユーザーが「離脱」するようなサービスを提供するとはとても考えられません。
上述のとおり、「メタバース」は「自己」「他者」と「環境」によってのみ成立するセカイです。
「メタ」という言葉が示すように、現実世界をより抽象的に洗練させ、人間の認識体験や社会体験を極限まで単純化・モデル化させたセカイになります。
そこに醜悪な「広告の氾濫」が入りこむ余地は大変小さいか、または皆無である可能性があります。
しかしながら「Meta社(旧Facebook)」は広告収入で成立していますので、「広告」というビジネスのあり方から遠いサービスを提供することはむずかしいので、何らかの「広告」を「メタバース」に忍び込ませる必要があります。
※これについては後述します。
その際に「メタバース」において、広告とは何か?「自我」か「環境」かという問いを立ててみるのはひとつ面白いことかと思います。
ビデオゲームについて
「メタバース」を考えるうえでビデオゲームの進化は大きなヒントになると思いますので、ここで少し寄り道をしてビデオゲームについて考えてみたいと思います。
※「ゲーム」というのは、ボードゲームやカードゲーム、スポーツにいたるまでの広い概念です。ここではあえて「ビデオゲーム」としてビデオをつけています。
点と線で構成されたプリミティブな「PONG」を開祖とするビデオゲームは、今や大きな発展を遂げています。
まず特筆すべきは「オンライン化」です。
今まではゲーム機の前に集まっている人間しか、同じビデオゲームで遊ぶことはできませんでした。
しかし、インターネットの出現によって、実際の物理的な場所を共有しなくても、同じゲームを楽しむことができます。
いまや数千人、数万人のプレーヤーが同時に同じゲームで遊ぶと言ったことも夢ではなくなっています。
そして次に挙げる特徴は「オープンワールド化」です。
あまりビデオゲームに親しくない人には聞き慣れない言葉だと思いますので、少し補足説明をいたします。
みなさんが「ビデオゲーム」というと真っ先に思い浮かべるのは何でしょうか?
ここでは「スーパーマリオブラザーズ」を例にとってみましょう。
「スーパーマリオブラザーズ」ではプレイヤーが操作するマリオは、右にいくか左にいくか、ジャンプするかしかできません。
また、右に移動してしまうと画面が進んでしまって、左に戻ることはできません。
ここでは、左から右という一次元の制約があり、ゴールも定められています。
一方「オープンワールド」は非常に自由度の高い「ドラゴンクエスト」と考えてもらえばよいと思います。
「ドラゴンクエスト」では、主人公は上下左右に二次元的に動くことができます。
※これだけでも、「世界を冒険する」といった感覚を昔は味わえたものなのですが。
しかし「ドラゴンクエスト」ではある程度ストーリーが決まっており、そのストーリーに沿って冒険をする「限定されたごっこ遊び」になっています。
「オープンワールド」ではさらに自由度が高く、プレイヤーは木を切ってそこから何かを作ったり、街の人々と話す内容によってストーリーが変わったりします。
「オープンワールド」でもっとも有名なビデオゲームは「マインクラフト」です。
「マインクラフト」ではプレイヤーはブロック状の地形を掘ったり、重ねて造形物を作ったりします。
敵キャラクターもいますが、それは「マインクラフト」というゲームの目的ではありません。そこには魔王も勇者もいません。
ある意味「オープンワールド」は目的をつくらず、そのセカイに浸ること、手段が楽しみとなっているゲームデザインになっています。
これらのように、技術的には「オンライン化」「オープンワールド化」など、「メタバース」の創造に必要な要素はほぼそろっており、これにVRゴーグルなどのデバイスを備えることによってより没入感を高め、あたかも新しいセカイに住んでいるような感覚をプレイヤーに与えることが可能になることでしょう。
多様性のゲームデザインとバッヂ(勲章)
また、昨今のビデオゲームにおいて特筆すべきことは、「オンライン化」「オープンワールド化」などの技術に裏打ちされた進歩だけでなく、そのゲームデザインにおいて多様性が重視され始めたということではないでしょうか。
多様性というと、マイノリティ問題などが昨今話題になっていますが、ゲームデザインにおいてはそれを先どったかたちで多様性を盛り込んでいたというのは非常に興味深いところです。
なぜゲームデザインにおいて多様性が必要なのか?
昔のビデオゲームは、得点を競うスコアアタック、時間を競うタイムアタックなどで、プレイヤー間の「優劣」を決めていました。
これはビデオゲームに先立った主たるゲームであるスポーツの影響を大きく受けていると考えます。
この状態を「ゲームがプレイヤーを評価している」という表現で表してみます。
上記のような優劣の決め方は「評価軸が少ない」という状態です。
「評価軸が少ない」と何が起こるかというと、一握りの勝者と多くの敗者という縦に長いピラミッド構造を生み出します。
ビデオゲームはリアルなスポーツと異なり「健康になる」「仲間ができる」などの副産物に乏しいわけですから自分が圧倒的な敗者である、到底勝者にはなれないと感じると、よほどのモチベーションが無い限りはそのビデオゲームに「飽きる」ということになります。
昔はオンライン化もされていませんでしたから、そのプレイヤーピラミッドは仲間内の小さなものでした。
しかし現在はスマホで気軽にプレイし、オンライン化もすすみ、ゲーム人口も莫大に増加しているわけですから、そのプレイヤーピラミッドは遠大です。
そのような中で単一的な評価軸でのみプレイヤーを評価すると、ほとんどのプレイヤーは自身が圧倒的な下位者であることを認識し、絶望し、「離脱」してしまいます。
そこで、多様な評価軸を用意し、事あるごとにプレイヤーに対して「いいね」を供給することによって、プレイヤーの興味をひきつけ続けるようなゲームデザインが主流となっています。その「いいね」をモダンなビデオゲームでは「バッヂ(勲章)」と呼びます。
例えば、「敵に10回連続買った」「30日連続ログインした」「仲間に回復魔法を100回使った」など、従来の「優劣」だけではない、多用な評価軸でプレイヤーを評価し始めたのです。
メタバースにおけるゲームデザイン
メタバースにおいても、ビデオゲームにおけるゲームデザインと同等のシステム設計が求められることになるでしょう。
バーチャルリアリティにおいては、古くは「セカンドライフ」にはじまり、最近では「VRChat」などが存在します。
「セカンドライフ」は物理空間をモデリング・デザインができるなどの点、また「土地」に価値をつけた点で非常に画期的であり、VRChatはそれをVRという一人称視点で成立させることに成功しています。
また両者に共通している点は、「アバター」の自由度です。
アイテムを購入したりすることによってキャラクターの外見を変更させることです。
「アバター」のゲームデザインは、実に様々なビデオゲームで採用されています。
※個人的にはその楽しみがイマイチ実感しづらくはあるのですが。
ただ残念なところも共通しています。
それは「ゲーム」が不足していることです。
つまり評価軸が圧倒的に不足しています。
運営者としては「アバター」を用意することによって、外見がかっこいい、かわいい、おしゃれ、奇抜、おもしろいなどの「いいね」をプレイヤー同士で与え合うことをデザインしていますが、やはりそれだけだと評価軸は足りないでしょう。
「セカンドライフ」は今や全く利用されていませんし、「VRChat」もこのままでは残念な結果になるかもしれません。
それは運営者がゲームデザインの主体者になってしまうと、メタバースそのものが数多あるビデオゲームのひとつとして埋没してしまいますし、かといってメタバース内に「ゲームセンター」を作れば良いと言うわけではありません。
ではメタバースにおいて、どのようなゲームデザインが想定されるのでしょうか?
上述したようにゲームとはプレイヤーを評価することに他なりません。
野球にせよ、サッカーにせよ、チェスにせよ、スーパーマリオブラザーズにせよ、ゲームプレイヤーは常にルール(もしくはアルゴリズム)から評価されます。
プレイヤーは勝つために、評価を得るためにプレイをします。
この時の評価は必ずしも「高ければよい」というものではありません。
適切に適当に評価されることがもっとも重要なのです。
人間同士のコミュニケーションにおいても、おべっかや追従が好まれないのと同じように、何の裏打ちもない高評価や高得点には価値がありません。
それがプレイヤーに十分納得のいくような適切なものである必要があります。
Facebookにおいても同様だったのではないでしょうか?
あなたの「ともだち」の中にも、「いいね」を乱発する人はいませんか?
もちろん自分の投稿に対して「いいね」をもらうのは嬉しいものなのですが、そういう「いいね」を乱発する「ともだち」から「いいね」をもらっても複雑な気分ではないでしょうか?
逆に自分がリスペクトする「ともだち」からもらった「いいね」はその何倍も価値があるものではないでしょうか?
Facebookの「いいね」もひとつの評価ゲームです。
「ともだち」の数も評価ゲームのひとつです。
残念ながらFacebookでは評価軸がとても少ないのが現状で、それが「Facebook疲れ」という現象を起こしていることは言うまでもありません。
なぜ評価軸が少ないのか?
それはFacebookというサービスでできることが基本的にとても限定的だからなのです。
Facebookでできることは基本的には以下の3つです。
- 友達をつくる
- 投稿する
- 人の投稿を評価する(コメント、いいね)
プレイヤーのアクティビティ(インプット)の幅が狭ければ、アウトプットされる情報の幅も狭くなってしまいます。
翻ってメタバースではどうでしょうか?
上述したように「オープンワールド」技術によって、ユーザーのアクティビティの幅を可能な限り大きくしようという設計思想がメタバースに根源的に埋め込まれています。
リアルの世界でできることと同じようなことを、メタバースのセカイでもできるようにする。
結婚、恋愛、暴力、食事から、仕事やその他の経済活動に至るまで、プレイヤーはメタバースで様々なアクティビティに興じることを目指しています。
つまり、メタバースは潜在的にも健在的にも様々な評価ゲームをその中に埋め込むことができ、より多用な評価ゲームにVR空間として没頭できるように設計されていくのです。
メタバースの中でプレイヤーはさまざまな種類の「いいね」を獲得します。
それはおそらく「バッヂ(勲章)」となり、アバターよりもプレイヤーを彩る装飾となるでしょう。
メタバースの中で様々なアクティビティを通じて、多様性を獲得し進化した「いいね」=「バッヂ(勲章)」を獲得する。
それがディストピアかユートピアなのかは、おいておくとしましょう。
ブランドがつくる評価ゲーム
いよいよブランドの話を始めたいと思います。
ここまで読まれた読者の方はすでに、結論が見えてきているのではないでしょうか?
つまり、メタバースの中で、ブランドがどのように振る舞えば良いか?
その答えはすでに出されています。
上述のように、メタバースでは参加者(プレイヤー)はバッヂを求めます。
これは、メタバースに限らずリアルな世界でも同様なのではないでしょうか?
名誉、資格、学歴、職歴、結婚、家庭、車、マイホーム。
人は様々なバッヂを求めます。
ブランドもそのバッヂとして非常に重要な機能を果たしてきていましたし、現在もそうであると筆者はあえて断言します。
確かに購買行動は消費者による選択の上で成立します。
しかし、商品やサービスがその性質や価格などで「消費者を選んでいる」「消費者を評価している」といった側面も否定はできません。
いわゆる「ブランド品」とよばれるような高価なバッグなどはわかりやすい例でしょう。
それを購入し、身につける。わかりやすい「バッヂ(勲章)」ですよね。
例えば、昨今の「共感マーケティング」。
これも心理的なバッヂ効果を創出するための一種の装置ではないでしょうか?
消費者が共感できるサービスや商品を消費することによって、ある種のカタルシスが生じ、消費者の心にバッヂが刻まれていきます。
そういった意味でブランドとは今までもこれからも「評価ゲーム」を作る立場に身をおいています。
上述したように、メタバースは「自己」と「環境」に関わる認知体験や社会体験が、よりシンプルに研ぎ澄まされ、時によっては「身も蓋もない」カタチで消費され、共有され、伝搬されるセカイです。
メタバース以後の時代では「評価ゲーム」の作成者としてのブランドの特性と役割はより顕著になるのではないかと考えます。
またメタバースの運営者からしても、「ゲーム不足」は深刻な課題です。
メタバースに真に必要なのものは広告やショップ、アイテム(商品)などの「コンテンツ」ではなく「ゲーム」そしてゲームによってもたらされる「バッヂ」です。
ゲームによってもたらされるバッヂが多用であればあるほど、評価軸が多用であればあるほど、メタバースは「豊か」になり参加者にとっては離れがたいものになります。
※バッヂがNFTによって供給されることによって、バッヂはメータバースを往来できる「ポータブル」なものになりますが、その空想未来はまた別の機会にお話をさせてください。
今まではブランディングにおいてもマーケティングにおいても、常にブランドはお客様から「評価される」ことを目指していました。
しかし、メタバース後の世界ではこの関係性は逆転し、ブランドは常にお客様を「評価」することになります。
ちなみに、これは今に始まったことではなく、「お得意」「ロイヤルカスタマー」「オーナー」といった言葉で、お客様にバッヂを与えてきました。
ブランド(焼印)からバッヂ(勲章)へ。
「評価される(褒められる)ブランド」から「評価する(褒める)ブランド」へという180度の転換が、メタバース後の世界では起こるのかもしれません。
アンチパターン、そして今からやってみるべきこと
以上の話から、メタバースやVR空間において、「ブランド」がやってはいけないアンチパターンをざっと並べておきます。
メタバース内の一定のスペースを買い取って広告をだしたり、イベントをする
上述したようにビルボード(広告看板)は良くても背景=テクスチャとしてあしらわれるか、目障りなものとして認識されます。
またメタバース内にアイドルグループやお笑い芸人、Youtuber、VTuberを招いてライブやイベントをする。イベントとして面白いかもしれませんので、そこはしっかりと「興行」としてフィーをとりましょう。
「お客様限定ライブ」というアイデアも悪くはないかもしれませんが、それは「バッヂ」として機能しません。入場した方に「バッヂ」を配ることが最低条件です。
そのイベントに参加したということを「評価」しないといけません。
しかしそれはあなた(ブランド)がしたい「評価」でしょうか?
バッヂと報奨(リワード)は別物です。
高額なお金をかけて3Dモデリングのアンテナショップをつくる
それが何らかの面白みのあるオブジェクトならば、プレイヤーは一度は訪れるでしょう。
有名なデザイナーやクリエイターによるデザイン。
有名なゲームやアニメなどとのコラボ。
高額なフィーとIP利用料が支払われることでしょう。
話題になります。
しかし、残念ながら、ただ、それだけです。
せめて入場回数に応じて「バッヂ」を配りましょう。ただ、その「バッヂ」が高いフィーを支払う価値のあるものか、疑問です。
アバターをVRショップに常駐させる
ショップを作ってもそこに人が来ないのは店員がいないからだ。
ということで、ショップにアバターを常駐させよう。
そういうアイデアもあるにはあります。
大きな間違いをしていません。
しかしそこにアバターがいるだけでは、50点です。
リアルな世界で人がショップに行くのはなぜでしょうか?
「人の温かみがある」というのは当たらずとも遠からずですが、やはりそこに「評価」があるからではないでしょうか?
「カリスマ店員」の行動を研究してみてください。
「お客様は今日は〇〇ですね。」
そこにはかならず「評価」があるのです。
もしアバターを常駐させるのであるなら、常に「評価」を意識してください。
しかし、メタバースで来店したお客様の「ポリゴンでできたアバターの外見」だけで評価できるものは限られてきます。
メタバースではない単なるVR空間を利用する
繰り返し述べてきましたように、メタバースとバッヂは切ってもきれない関係です。
もし、バッヂを利用できないVR空間ならば、そこはあなた(ブランド)が参加するメタバースではないということを知りましょう。
カスタマイズオブジェクトを作成できる、チャットができる、という程度のVR空間では、あなた(ブランド)は十分に「評価」をすることができません。
あなたの準備したアクティビティに参加者にコミットしてもらい、その情報に基づいて適切に「評価」し、バッヂを与えることで、あなた(ブランド)と参加者の関係はより豊かに緊密になります。
例えば、もしあなた(ブランド)が「環境問題」を大切にしているとします。
「環境に配慮した」あなた(ブランド)の商品を購入するだけでなく、他社の「環境に配慮した」商品を購入したときも、また「環境に配慮した」その他のアクティビティを達成したときも、それらを「評価」するという一貫性を保つ必要があるのかもしれません。
あなた(ブランド)が今からやってみるべきこと
筆者が今まで述べてきたのは、ちょっと先の未来の空想かもしれません。
バッヂを参加者にあたえる、そういうアルゴリズムをカスタマイズできるようなメタバースは残念ながらまだ誕生していません。
しかし、あなた(ブランド)がお客様を「評価」することは、現在のSNS環境でも十分に可能なはずです。
SNSマーケティングと言いますが、あなた(ブランド)は「いいね」を欲しがるばかりで、誰かに「いいね」をしていますか?
共感マーケティングと言いますが、あなた(ブランド)は「共感されたがって」いますが、誰かに共感していますか?
ストーリーマーケティングと言いますが、あなた(ブランド)は自分のストーリーを語るだけで、お客様とストーリーを紡ごうとしていますか?
あなた(ブランド)が今からすることは、とても簡単なことです。
あなた(ブランド)のお客様を、あなた(ブランド)の価値観に従って「いいね」してください。そして「フォロー」してください。
あなた(ブランド)のお客様に共感してください。
そこから、あなた(ブランド)とお客様だけの、大切なストーリーが生まれます。
それはきっと、あなた(ブランド)とお客様の関係を、より豊かにすることでしょう。
ブランドを守るために空想する
もっと先の話の空想をしてみます。
ブランドが「評価ゲーム」を作る未来。
数万、数十万というお客様を、人が「評価」することには明らかに限界があります。
その時に初めて、ブランドは人工知能と邂逅し、その技術を利用し始めることになります。
筆者の専門分野は人工知能なのですが、さて、その時まで現役でいられるのかどうか、甚だ心配ではあります。
最後に、少し宣伝を。
当社はお客様のブランドを守る「ブランドセキュリティ」をミッションにしています。
当社のストーリーは、インターネット時代にマスマーケティングや商標だけでは守りきれなくなったブランドをどのようにして守るのか?その使命感から始まりました。
そして現在、メタバースをはじめとした様々な技術、ブランドを取り巻く多彩な環境が出現し、「ブランドセキュリティ」のあり方はより重層的に、より複雑になっています。
そのような時代にあって、ちょっと先の未来を空想してみるのも決して悪くはないと筆者は考えています。
この記事自体があなた(ブランド)を直接守ることにはならないかもしれませんが、何らかの羅針盤になればと願います。
当社はあなた(ブランド)の現在を守るために、将来起こりうる様々なケースを空想しているのです。
〈ライター〉
GMOブライツコンサルティング株式会社
山下 寿也(やました としなり)